大地を旅する。

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2010年 12月 19日

情熱大陸の熱出口

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噴煙を上げる活火山「硫黄島」。
あまりのかっこよさに毎年心打たれる。
この人を寄せ付けない姿を海から眺めるだびに、地球はパワフルに生きてるなあと思う。

僕もモクモクと情熱を噴き出しながら生きるぜ~
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:52 | 硫黄島(鹿児島県)
2010年 12月 19日

海の色、僕の色

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硫黄島にいると、海は必ずしも青やエメラルドグリーンではないと気づかされる。
緑がかった乳白色や、ガンジス川のようなミルクティー色した海があった。

えっ!と驚かされた。

この感覚が旅の醍醐味だ。井の中から飛び出して外界の異世界に踏み出したとき、自分の常識は常識じゃないと知る。そこから新たな自分を創りだしていく。学生時代、「旅は何も生み出さない」と言われたことがある。自分の生き方を探す旅をしていた僕にとっては強烈にショックな言葉だった。

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でも、それは違うな。あの人の常識は僕の常識じゃなかった。

旅は、何かを力強く生み出していこうとする原動力「心」を育んでくれるものだと思う。
「人生とは、人が何かを生み出すことなり」と栗駒の隊長に教えてもらった。

だから、僕は自分の思いを実現していくために、これからも旅をしていく。
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:50 | 硫黄島(鹿児島県)
2010年 12月 19日

俊寛堂で思ふ

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この美しき苔道を降りていくと、俊寛堂がある。


俊寛は平安時代末期の僧。1177年、鹿谷荘にて平家討伐の陰謀がもれて捕らえられ、丹波小将成経、平判官康頼と共に鬼界ヶ島(硫黄島)に流された。1178年、先に上げた2人は罪を許され召還されたが、俊寛は一人許されなかった。

2人を乗せた船が硫黄島を出るとき、海水の中を胸まで入り船にとりつき、同行させてくれるよう必死に懇願したが赦免状を持った使者丹左衛門懇基康は、俊寛の手を払いのけて船を沖にこぎ出させた。号泣し頼んだ甲斐もなくただ一人残された俊寛は茫然として海を眺め、海岸に佇んだという。翌日は康頼が形見にくれた夜具(夜、寝るときに用いる布団・毛布などの総称)と、康頼の形見の品である法華経とを背負い、とぼとぼと自分の粗末な庵へ帰った。1179年9月、娘の身を案じつつ絶望の果てに絶食して念仏を唱えながら37才で死んだ。

島の人々は、俊寛の死を哀れみ、三人を合わせて祭って俊寛の移住跡に御祈神社を建てた。これを俊寛堂という。俊寛の霊を祭る柱松の行事は、俊寛の送り火として島に伝わる盆行事となっている。今もなお長浜海岸で硫黄島地区の老若男女総出の行事として盛大に行われ、その高さは20mにもおよび、空を焦がすその炎の光は遠く屋久島からも見えるという。 三島村教育委員会より


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竹で綺麗に編みこまれた御堂は竹で覆われひっそりと建っていた。
俊寛さんの思いを想像しようとも想像できないほどの深い悲しみと怒りがあっただろう。

家族の顔が頭に浮かび、家に帰りたい気持ちになった。
きっと罵られるだろうけど、家族がいること、家族でいっしょのトキを過ごせること、普段当たり前のように思っていたことに心いっぱい感謝の念が生まれた。俊寛さん、どうもありがとう。早く息子に会いたいです。
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:48 | 硫黄島(鹿児島県)
2010年 12月 19日

トカラ馬

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トカラ馬と教えられたが、僕には馬の知識がまったくなくわからない・・・
硫黄島は色んな生きものがいるなあ。

一度は絶滅しそうになったトカラ馬は、トカラ列島で飼育されてきた日本在来種の馬。喜界島からトカラへ人が運んできたとも言われている。

体高はおよそ100-120cmと小型で、在来馬の中でも最小クラス。ポニーに分類される。毛色は鹿毛のものがほとんどである。暑さに強く、古くから農耕や運搬、サトウキビ搾りなどに利用されてきた。1953年に鹿児島県の天然記念物に指定されている。ウィキペディアより

久しぶりに間近でみる馬の筋肉はやっぱり美しい。そして、この優しげな瞳。いつか馬といっしょに暮らしてみたいな。
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:47 | 硫黄島(鹿児島県)
2010年 12月 19日

安徳帝墓所

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壇の浦における源平の一大決戦の果て、平家は滅びた。この時、平清盛の妻二位の尼に抱かれて千尋の海に入水されたはずの安徳天皇は、実は硫黄島に逃げのび生き続けた。写真は安徳天皇を支えた従臣たちのお墓。

素朴な石で積み上げられたお墓たちは、森の中で静かにひっそりと佇んでいた。

何十万円もする豪華な墓なんかより、誰かが思いをこめて積み上げてくれた海辺の石コロの下で僕もいつかは永眠したいな。
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:45 | 硫黄島(鹿児島県)
2010年 12月 19日

集落の一員

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集落の自動販売機の前にじっとしていたクジャク・・・

硫黄島は本当にクジャクの多い島だった。真っ白のクジャクが多数いるのにも驚いた。
クジャクはもともと島にないなかったが、どこかの企業が観光目的で飼っていたクジャクたちが野生化してしまったそうだ。

さっきまでは子どものように大はしゃぎでクジャクに感動していたが、その話を聞いて複雑な気持ちになりすっかり大人に戻ってしまった・・・
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:44 | 硫黄島(鹿児島県)
2010年 12月 19日

クジャクの誘う場所へ

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朝日を見て宿に帰ってくると船長のカズナオさんが「あっちにクジャクがいたぞ」と教えてくれた。
走って教えてもらった場所に行くと、

いたー!!!

ジリジリ間合いを詰めていくが、殺気を感じてかそそくさと逃げていった。
松本隊長と追いかけていくと・・・いつの間にか僕らは小学校の校庭でカメラ&ビデオ撮影に夢中になる怪しげな集団となっていた。今日が日曜で子供たちがいなくてよかった~。笑

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振り返ると山を背景にした素敵な小学校が。この島にはいったいどんな子供たちがいるんだろう。来年はこの校庭で走り回る子どもたちと出会いたいな。
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:40 | 硫黄島(鹿児島県)
2010年 12月 19日

一日のはじまり

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硫黄島、恋人岬より一日がはじまる。
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:39 | 硫黄島(鹿児島県)
2010年 12月 19日

硫黄島の朝

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硫黄島のサンゴ調査を終え、島に初上陸。
活火山である硫黄島の夜明け、一艘の漁船が港から大海へ旅立った。
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by shunzo_rikutabi | 2010-12-19 20:37 | 硫黄島(鹿児島県)